情報の遮断と感覚

佐藤雅彦 著の「差分」が面白すぎる!
紙の頁ひとつで、「感覚」を味わえることが衝撃だ。
脳とは一体なんなのだろう。
身体とは、感覚とは一体なんなのだろう。
自分の身体とは、1番不可解なものだ。
本とは、単なる情報とは違い、それは血となり肉となる。
数ヶ月前から、手首の酷い腱鞘炎に悩ませられている。
フタを開けるのも、器を持つのも、日常の何気ない動作にいちいち痛みが走る。
手首なんぞ、身体のごくごく一部のパーツであり、全体の割合からしたら些細なものだ。
それなのに、こんなにも苦痛でストレスで、不自由だ。
失って初めて実感する、健康の有難さである。
ただ、付かず離れずの痛みというものは、自分の身体を実感できる場であると知った。
イテテッ!と思うたびに、意識する。
痛みの箇所を探し当てるように、微妙に違った動作をしてみたりする。
海外に居る最大のメリットは「情報の遮断」だ。
生まれ育った日本は本当に素晴らしい国で、言葉は理解できるし、便利だし、民度も高く、なんにつけても痒いところに手が届くという、とにかく他とは別格の国だ。
しかし、唯一の難点は、情報が多過ぎる。
そこに居るだけで、入れたくもない情報までもが流れ込んでくる。
自分のような仕事には、時として情報が邪魔になる。
有り余る情報を遮断していくと、シンプルなものしか残らないことに気づく。
寒いとか暑いとか、水の音とか工事の音だとか。
意識と同時に感覚が動く。
怪我はいずれ治ってしまう。
期間限定はレアものである。
今はその痛みの感覚と、それをいちいち痛がる自己を楽しむことにしている。
by michiko-kk
| 2016-08-01 11:21